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「新宿三丁目 第2回」国内有数の繁華街をテリトリーに、贅沢な時間を堪能する。

江戸以降、急速に発展した新宿の歩み。

 

 

今でこそ新宿は人々で賑わう国内有数の繁華街となりましたが、本格的に発展を遂げたのは、関東大震災以降になります。さらに遡ると、明治維新後に鉄道駅が敷かれるまでは甲州街道の宿場町として栄えていました。

 

江戸より以前の新宿一帯は、すすき原だったと伝えられています。1590(天正18)年には徳川家康が江戸に入府しますが、その直前、豊臣秀吉によって滅ぼされた後北条氏の残党に対する警備のため、徳川家康の譜代の家臣であった信州高遠藩主の内藤清成が、鉄砲隊を率いて現在の新宿二丁目付近に陣を敷きました。この功績によって、内藤清成は付近一帯を拝領。東は四谷、西は代々木、南は千駄ヶ谷、北は大久保に及ぶほどの広大な広さです。そして現在の新宿御苑にあたる位置に中屋敷を構えました。

 

しかし家康から授かった土地は、内藤家の石高に対してあまりに過分であったため、後に多くの部分を幕府に返上しています。このとき返上した土地に甲州街道の新しい宿場町が設けられたのが、新宿の始まりです。甲州街道は、江戸から甲府までの主要な街道として整備されていましたが、基点である日本橋から第一の宿場である高井戸までの距離が長く、付近での宿場開設は、旅人にとっての願いでもありました。内藤氏の屋敷があったことから、この宿場は「内藤新宿」と名付けられ、それが新宿という地名の起源にもなっています。

しかし明治に入ると、多くの武士たちが帰郷したことで、多くの武家屋敷街が荒廃してしまいます。一方で作物選択・職業選択の自由が認められ、新宿では主に丸太が取引されるようになり、物資輸送の要所として繁栄しました。やがて1885(明治18)年に日本鉄道品川線(現在の山手線)が開通し、「新宿」駅が開業。続いて現在のJR中央線にあたる甲武鉄道、現在の京王線にあたる京王電気軌道が「新宿」駅へ乗り入れ、ターミナル駅として成熟していくこととなります。

 

1923(大正12)年、そんな新宿の発展を後押しする重大な出来事が起こりました。関東大震災です。東京一帯では10万5千人もの死者や行方不明者を出すほどの大災害でしたが、銀座や浅草といった繁華街が壊滅したのに対し、新宿は地盤の強い武蔵野台地の東端に位置していたため、ほとんど被害を受けることはありませんでした。そのため被災者が多く集まるようになり、人口が急増。歌舞伎町が誕生するなど、街の発展に拍車がかかりました。

 

昭和になると、小田急線や西武鉄道も「新宿」へ乗り入れ、数多くの商業施設や映画館、劇場、カフェなどが集中。1933(昭和8)年には、伊勢丹新宿店が開業しました。

 

その後も、1959(昭和34)年には、帝都高速度交通営団(現在の東京メトロ)丸ノ内線の駅として「新宿三丁目」駅が開業。1980(昭和55)年には都営地下鉄新宿線「新宿三丁目」駅が開業と、発展の歩みは続きます。2008(平成20)年に東京メトロ副都心線の駅が開業したのは、今でも記憶に新しい出来事です。

 

このように、短い期間で急激に発展した新宿および新宿三丁目界隈。これからも、副都心の名に相応しく、ますます便利に発展していくことでしょう。

ハイホーム本陣

グリーンヒル新宿

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