都心のオアシス「内藤町」
江戸から続く400年の歴史を刻む、広大な新宿御苑に癒やされる都心のオアシス。
新宿区の南に位置する、新宿御苑に癒やされる街。
東京23区のほぼ中央に位置する新宿区。内藤町はその新宿区の南部にあり、町の大部分を国民公園の一つである新宿御苑が占める、都心ながら緑豊かなエリアです。
交通利便としては、東京メトロ丸ノ内線の「新宿御苑」駅と「四谷三丁目」駅、JR中央線の「千駄ヶ谷」駅と「信濃町」駅、都営大江戸線の「国立競技場」駅、東京メトロ副都心線と都営新宿線の「新宿三丁目」駅などが主要な利用駅となるほか、町の西側では国内随一のターミナル駅である「新宿」駅も利用可能。さらに新宿御苑の周辺を走るコミュニティバス「新宿WEバス」が利用できます。
2020年に開催される東京オリンピックのメイン会場である新国立競技場も近く、周辺の今後の発展にも期待が高まります。
江戸期から長い歴史を刻んだ、内藤家の中屋敷跡。
内藤町という地名は、江戸時代にこの一帯が高遠藩主である内藤家の中屋敷だったことに由来しています。天正18年(1590年)に徳川家康が江戸城に入城した際、譜代の家臣であった内藤清成に江戸屋敷の一部を授けたのです。内藤家の祖先は藤原鎌足とされ、鎌足を祀った多武峯内藤神社(とおのみねないとうじんじゃ)も、町内に現存しています。
家康から授かった土地は、東は四谷、西は代々木、南は千駄ヶ谷、北は大久保に及ぶほどの広大さを誇りました。しかしそれは内藤家の石高に比べてあまりに過分であったため、1698年に多くの部分を幕府に返上しています。このとき返上した土地に甲州街道の新しい宿場町が設置されることとなりましたが、内藤氏の屋敷地であったことと、新しい宿ということで「内藤新宿」と名付けられました。これが新宿の地名の起源となっています。
内藤町を発祥とする伝統野菜に「内藤とうがらし」がありますが、かつて内藤家が屋敷内でとうがらしの栽培を始めたことがきっかけでした。やがて周辺の農家でも栽培するようになった内藤とうがらしは、薬味として当時の江戸庶民に親しまれていたそうです。
内藤町のシンボルは、新宿御苑の豊かな緑です。新宿御苑は、明治政府が内藤家から上納された広大な屋敷跡と買収した隣接地を合わせた58.3haの敷地に、近代農業振興を目的として明治5年(1872年)に設置した「内藤新宿試験場」が起源です。後に「新宿植物御苑」として運営されるも、明治35年(1902年)から4年の歳月をかけて大きく改造し、明治39年(1906年)に完成したのが新宿御苑です。当初は皇室の庭園として利用されていましたが、昭和24年(1949年)に国民公園と定められ、一般に開放されることとなりました。
太宗寺 |
並木道 |
緑との調和を尊重し、守られ続けている心地よさ。
広大な面積の中に種類も様々な植物が育ち、四季折々の彩りを楽しむことのできる新宿御苑。内藤町は、その大部分を新宿御苑の敷地に占められているため、緑が豊かな反面、住宅地が少ないという特徴があります。また、新宿御苑のある街並だからこそ「内藤町地区地区計画」や「文化財庭園等景観形成特別地域」として、建築物の高さや形状、外壁の色など細かなガイドラインが制定されています。新たに建築される建物はこのガイドラインに則る必要があるため、街並の景観と心地良い住環境が今なお守られ続けているのです。
新宿御苑の並木道沿いには、街並の雰囲気と調和する洗練されたオープンテラスのカフェやレストランが軒を連ねているため、新宿御苑散策の帰りにこうしたスポットでくつろぐこともオススメです。風にそよぐ緑を眺めながらの食事やティータイムは、とても心地よいひとときとなることでしょう。また、キラー通りやプラチナ通りの愛称としても知られる外苑西通りにもオシャレな店舗が点在しているので、足を伸ばしてみるのも良いかもしれません。
町内にはほかに、公共施設や教育機関、スーパーなどが充実。中でも四谷区民センターには、区民ホールや四谷図書館、特別出張所などが揃い、地域の人々の暮らしを支えてくれています。
都心でありながら、豊かな自然に抱かれて、ゆったりとした時間を快適に過ごす。そうした暮らし方を叶えられるのが、新宿区内藤町の魅力なのです。
日本庭園 |
四谷区民センター |
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