「自由が丘 第1回」もしかしたら違う名前だったかもしれない!?人気スポット「自由が丘」の秘密。
誰もがその名を知る、圧倒的人気ブランド「自由が丘」
自由が丘という名前は、地縁のない人であっても誰もが知っている名前ではないでしょうか。センスの良いショップ、ブティック、ヘアサロンが建ち並び、のんびりとショッピングやファッションが楽しめるオシャレな街として、住みたい街ランキングでも上位に名前が挙がります。近年ではスイーツタウンとしても知られています。
アドレスは目黒区自由が丘で、一丁目から三丁目が存在しますが、「自由が丘」駅を中心とする目黒区自由が丘と世田谷区奥沢に広がる住商業地域を、自由が丘地域として呼ぶことが多いようです。
拠点となる「自由が丘」駅は、東急東横線と東急大井町線が利用可能。中でも東急東横線は、「渋谷」駅から東京メトロ副都心線に直通運転し、また「横浜」駅からは横浜高速鉄道みなとみらい線に直通運転しているため、「新宿三丁目」駅や「池袋」駅、「元町・中華街」駅などへもダイレクトにアクセスすることができます。
特急や急行など、すべての列車が停車する駅のため、駅前は沿線でも有数の繁華街が広がり、多くの人々で賑わっているのが特徴です。しかしちょっと駅前から離れるだけで、喧騒は消えて落ち着いた住宅街が広がります。以前から文化人や芸能人が住居を構えたことでも知られているように、暮らしやすさの面でも申し分ありません。
さて、そんな魅力的な自由が丘ですが、丘と呼べるほどの高台ではありません。古い地図を見れば、このあたりは九品仏川沿いの低地であったことが分かります。実は自由が丘と呼ばれるようになったのは昭和に入ってからのことで、江戸時代からそれまでは荏原郡碑衾町大字衾字谷畑中という地域だったため、「碑衾町(ひぶすままち)」「衾(ふすま)」「谷畑(やばた)」などと呼ばれていました。
また「自由が丘」駅の名前も、開業当時は「九品仏前(くほんぶつまえ)」駅という名称でした。
自由が丘という名称は、この地に創立された自由ヶ丘学園に由来します。
その後、自由が丘の名称は立派なブランドとなり、日本全国へと波及するきっかけにもなりました。至るところに「自由ヶ丘」という地名がありますが、本家本元は、ここ目黒区自由が丘なのです。
もしもこの街が「衾」などと呼ばれていたら・・・人気スポットのイメージもちょっと違ったものになっていたかもしれません。